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言葉の奥に見えた世界
先月末 カフェスローの展示の搬入で東京に行きました。

ちょうどそのタイミングで オイリュトミーのWSもあって 行ってみました。



神楽坂セッションハウスに行ってみたかったのと 東京のオイリュトミーってどんな感じだろうと思って。



そしたら 参加者2人で 

ある意味 ぜいたくな時間。






   東は 朝

   南は 真昼

   西は 夕べ

   北は 真夜中





ベートーベンの言葉?!



これを使って 東は→→→右へ直線にうごく

         朝  →→→曲線で半円を描きながら もとの位置にもどる




方角は 直線  朝昼などは曲線



すごく シンプルな言葉と 直線と曲線の動き



でも これがすごく壮大な世界でした。



東は で右へ動いた後の 朝は 完全に背中で世界を感じる



どこまでも 無限に広がる世界で

音もないような どこまでも広がる砂漠に立った気分だった






シンプルなフレーズは いのちを持った生き物のように 世界が広がっていった


言葉にそんな力があるんだね。




目で見るでなく 耳で聴くでなく

カラダで感じる 言葉




カラダと言葉って こんなふうに使うんだね~


オイリュトミーが そんな神秘的な世界をみせてくれた。






s-宮古島・沖縄2017 064









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【2017/09/06 23:28 】
身体表現 | コメント(0)
沖縄を踊る
8/6のエイサーページェント2017 「架け橋」に向けて エイサー練習中。


琉球國祭り太鼓という創作エイサーグループの宮城支部で一般参加します。


s-エイサーページェント2017


各支部で一斉にエイサーを踊る日。


見えないつながりを感じる日になりそうです。



それが8/6なのよね~。


仙台は七夕初日。


会場にたどりつけるのか?!と思ったけど・・・・・・・・・・・




それはおいといて 8/6といえば広島に原爆が投下された日。


広島に思いをはせる日。








沖縄って何度も行ってて

沖縄のお祭りもずっとやってた時期があって


エイサーやらなかったことがむしろ不思議なんだけど・・・・・・・・



でも やらなかった。



外から見る限り 男性的であんまり好きじゃなかった。




それが 今年に限って気まぐれにやってみようと思ってしまったわけです。


コンテンポラリーとか身体表現に興味を持ったのが大きい。




それと


6/23 今年 初めて沖縄慰霊の日を沖縄で迎えることができました。


いつかタイミングが合った時にと思っていて なんか今年はバシッと合った。



いまなんだ。


6/23を沖縄でむかえることが決まった直後に エイサーページェント一般参加しないかと連絡をもらった。



なんかこう OKをもらった感じ。



自分の中に蓄積された”沖縄”を伝える時なんだと受け取った。


自分の中にある ”沖縄” を表現してみろと 新たな宿題?!




美しい海ばかりじゃなく

辺野古や高江のこと 基地のこと オスプレイのこと・・・・・・・・・


いろんなモノ見せられた。

いろんな感情がわいてくる



そういう部分の含めて 沖縄を表現する手段が 踊ること



6/23から8/6へ


平和をつなぎたい




男性的で好きじゃないと思ってたエイサー(創作エイサーなのだろうけど)


パーランクー(小さい太鼓?!) やってみたら 舞いなのだと感じた。



振付けが 流れるように美しい。


なんか フラみたい。(きっちりしたフラとはまたちがうかもしれない)






なんだかんだで 結局1曲 「海の声」だけ踊る。


それが自分の限界なのだけど 思うように舞いたいな~。







s-宮古島・沖縄2017 133



【2017/07/15 21:59 】
身体表現 | コメント(0)
自分の状態を知る
日曜に、から研presens 佐藤有華さんのWSで "フェルデンクライス"というメソッドを体験しました。



ほんのさわりだそうですが。





仰向けに寝た状態で、かかとから頭までゆっくりとどんな状態かを観察する



膝の裏は床とどれくらい離れているか orくっついてるか とか

腰はついてるのかとか



左右の床についてる具合はどうかとか、足の長さの違い



など




頭まで一通り観察したあと



膝をたてて 骨盤を前後に動かすことをやりました。


(その前にいくつか動かしたけど忘れた)




そして、またかかとから頭まで最初とどう違うか観察していく。




一連の流れは、有華さんが誘導してくれるのですが、誘導瞑想のように思えてきて、途中何度か意識が飛ぶ・・・・・





やってみてわかったのは こんな小さな動きでも体のバランスは変わるんだーということ。




体は常々 バランスを保とうとしているのだね。




すごくスッキリしました。




"フェルデンクライス"は 体のアンバランスを矯正するとかではなく



今こういう状態なのね~を知る感じ。



すごく興味深いメソッドです。







身体表現というものに出会って コレおもしろ~い!とハマってるのだけど



自分の体の状態を知ることはセットだった。




そこがまたおもしろいのです。





体も含めた自分の状態を知るってヒーリングをやるようになって特に意識するようになったけど



特に私の場合、人にやってもらうのが好きじゃないから自分でやるしかない。



自己ヒーリングをするということは、自分の状態を観察するわけです。




ヒーリングはエネルギーをみることが多いけど、今やってる自分の体の観察はまさに肉体の部分で、骨格を意識するようになった。




より地に足がついてる方向にきてる、ということ?!






身体表現ってもちろん自分のカラダを使って表現するのだけど



ヒーリングやってるときに使ってるエネルギーを感じ取る力など総動員。



地に足がついてることやってながらもバリバリ スピリチュアル?!



やってる人たち スピリチュアルなんて全然意識してないけど。





私にとっては、スピリチュアルな世界で得たことをいかす新たな方向を見つけた感じ。



しかも よりおもしろく。



【2017/07/04 01:09 】
身体表現 | コメント(0)
土台となるもの
2月頃から ちょこちょこ機会があれば コンテンポラリーのダンスまではいかないけど、そういう分野の身体表現のWSに参加していて


即興で身体を使って表現することを何度かやっている。




やってみて まわりをみわたして ふと気付いた。




コンテンポラリーって 型がないダンスの分野なわけで


そういうとき そもそもどこから”表現”をもってくるのだろうか。




バレエをやってる人はバレエの動きが土台になっていたりする



タンゴのこともあったり



みんなそれぞれ。





私は踊ることをずっとやってこなかったので


土台がない・・・・・・・・・・・・・・・?!




土台になるようなものがあるのだろうか


そういうの あった方いいよな~って思い始めた。






そんな時に 全然ちがう方面から エイサーやらない??ってお誘いがやってきた。



いままでなら断ってたけど


エイサーか~。エイサーの動きってどんなんだろう。



身体表現に使えるかも!


かなり興味アリだ。



そんなところから やってみた~い!って思った。





沖縄に行ったり 沖縄のお祭りをやってきたけど


エイサーにだけは手を出さずにきた。




男性的で どこか戦うイメージがあって エイサーってあんまり好きじゃなかったのもある。


受け入れられないなにかがそこにはあって・・・・・・・・・・みたいな。





そんなのがあったけど そんなことはどこへやら

別ルートで やってみたいと思うにいたる。





エイサーをやろうと決めた時に


あ~ 私の原点はココだったと 思い出した。





歌うこと 踊ること は特別なことじゃなくて


日常の中に当たり前にある


それはまた 自然や神様とのつながりでもある 




そうそう 初めて”沖縄”というものにふれたときに知ったこと。







コンテンポラリーや 身体表現を意識したときに


一方で 意識的に シャーマニックな部分を切り離してた。



そっちにはいかないぞ~って。





でも 歌うことや踊ることは日常にあって 


自然や神様とつながる感覚



これって すでになじんでいるモノ



すでに持っている 




そういうのって たぶん十人十色。



自分の持つ感覚を どんどん使っていったらいいんだな~と気付いた。








s-仙台の風景など 281

















【2017/06/13 09:14 】
身体表現 | コメント(0)
コトバと身体表現
コトバと身体表現


結構大きなテーマ?!






いま 私たちの社会は 基本的にコトバで成り立っているコミュニケーションがあって



一方 非言語のコミュニケーションもあらわれてきたような気がするのです。



ざっくり言えば テレパシーとか。


音とか色 光もたぶんそういう感じ。



そういう時代になってきたのだと思う。






ヒーリングのセッションをしていても コトバを求められる。


スピリチュアルなのに??って思ってたけど。




ライアーの音なんか 感じたことをそのまま受け取ってくださいってしてるのだけど


そういうのを受けたい人に限って コトバがほしいようで・・・・・・・・・・・。





私はあんまりコトバで伝えることを信用していないので


音や色などで伝えることをやり出したのもある。




自分の意図とは違うように伝わるし ムズカシイ



そして 言ってるコトバとその人の思ってることがちがうってのが平気で成り立つ。


私はそういうのが感覚的にわかるので 気持ち悪いのです







そんないきさつがあり 昔からコトバって限界があるモノと捉えていた。



海外に行ったときなんか 私日本語しかわからないから


耳に入ってくるコトバ(外国語)が音声に聴こえ


コトバに変換されない音声が 心地よく思えたりした。



音声は ハートで聴くって感覚を知らず知らずに得ていたり。








前置きが長くなりました。


最近 コンテンポラリーとか身体表現をする場にちょくちょく行くようになり


そうそう コレコレ!!って思った。




カラダで表現したある動きは そのままメッセージとなる


非言語のコミュニケーションだなって感じた。




ただ、じゃあソレなんていう意味??って聞かれたところでわからない。


コトバに変換しないまま受け取る、みたいな世界。



コトバにしてしまったら もうそれはちがうんだよね。



”コトバになる前のコトバ”



シュタイナー的な世界?!





先週土曜日に 『凛然グッドバイ』というお芝居を観ました。


まさに コトバになる前のコトバの世界をみせられたような。



コトバ(セリフ)とコトバじゃない身体表現でつくられていて



コトバと非言語のキワをみていたように感じた。



コトバと非言語のせめぎあい?!




その境って何なんだろう。。。。。。。。。。








コトバにならないコトバ


というよりも コトバにできないコトバ




感覚が鋭くなるほど 自分の細かな感情をあらわすコトバをもっていなかったことに気付く。



ライアーと出会って それを音で表現する方法を得たのだけど




もっともっとダイレクトに


当たり前だけど カラダとか感情とか声とか つながっていて



身ひとつでできる表現の世界を追求してみたくなった。





受け取ることに慣れさえすれば もっともっと豊かなコミュニケーションになると思うのよね~。


身体表現は。





受信と発信。


その根底には テレパシーのような力があるような気がするな~。


知らず知らずに使っているんじゃない??




そういう意味では ようやく時代が追いついてきたんじゃないかと思う。








s-農園2017 5.16 007












【2017/05/24 11:28 】
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