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コトバと身体表現
コトバと身体表現


結構大きなテーマ?!






いま 私たちの社会は 基本的にコトバで成り立っているコミュニケーションがあって



一方 非言語のコミュニケーションもあらわれてきたような気がするのです。



ざっくり言えば テレパシーとか。


音とか色 光もたぶんそういう感じ。



そういう時代になってきたのだと思う。






ヒーリングのセッションをしていても コトバを求められる。


スピリチュアルなのに??って思ってたけど。




ライアーの音なんか 感じたことをそのまま受け取ってくださいってしてるのだけど


そういうのを受けたい人に限って コトバがほしいようで・・・・・・・・・・・。





私はあんまりコトバで伝えることを信用していないので


音や色などで伝えることをやり出したのもある。




自分の意図とは違うように伝わるし ムズカシイ



そして 言ってるコトバとその人の思ってることがちがうってのが平気で成り立つ。


私はそういうのが感覚的にわかるので 気持ち悪いのです







そんないきさつがあり 昔からコトバって限界があるモノと捉えていた。



海外に行ったときなんか 私日本語しかわからないから


耳に入ってくるコトバ(外国語)が音声に聴こえ


コトバに変換されない音声が 心地よく思えたりした。



音声は ハートで聴くって感覚を知らず知らずに得ていたり。








前置きが長くなりました。


最近 コンテンポラリーとか身体表現をする場にちょくちょく行くようになり


そうそう コレコレ!!って思った。




カラダで表現したある動きは そのままメッセージとなる


非言語のコミュニケーションだなって感じた。




ただ、じゃあソレなんていう意味??って聞かれたところでわからない。


コトバに変換しないまま受け取る、みたいな世界。



コトバにしてしまったら もうそれはちがうんだよね。



”コトバになる前のコトバ”



シュタイナー的な世界?!





先週土曜日に 『凛然グッドバイ』というお芝居を観ました。


まさに コトバになる前のコトバの世界をみせられたような。



コトバ(セリフ)とコトバじゃない身体表現でつくられていて



コトバと非言語のキワをみていたように感じた。



コトバと非言語のせめぎあい?!




その境って何なんだろう。。。。。。。。。。








コトバにならないコトバ


というよりも コトバにできないコトバ




感覚が鋭くなるほど 自分の細かな感情をあらわすコトバをもっていなかったことに気付く。



ライアーと出会って それを音で表現する方法を得たのだけど




もっともっとダイレクトに


当たり前だけど カラダとか感情とか声とか つながっていて



身ひとつでできる表現の世界を追求してみたくなった。





受け取ることに慣れさえすれば もっともっと豊かなコミュニケーションになると思うのよね~。


身体表現は。





受信と発信。


その根底には テレパシーのような力があるような気がするな~。


知らず知らずに使っているんじゃない??




そういう意味では ようやく時代が追いついてきたんじゃないかと思う。








s-農園2017 5.16 007












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【2017/05/24 11:28 】
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